大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成6年(ワ)8384号 判決

原告

中原伸之

右訴訟代理人弁護士

矢田次男

小川恵司

栃木敏明

被告

選択出版株式会社

右代表者代表取締役

飯塚昭男

右訴訟代理人弁護士

山田伸男

庭山正一郎

三森仁

上床竜司

主文

一  被告は原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する平成六年四月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、本判決確定後速やかに、被告発行の月刊雑誌「選択」に、右雑誌に通常使用する活字を用いて、別紙1の趣旨の被告代表取締役名義の謝罪広告を掲載せよ。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は各自の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

一  被告は原告に対し、金一億〇三〇〇万円及びうち金一億円に対する平成六年四月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、被告発行の月刊雑誌「選択」及び日本経済新聞、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞の各朝刊全国版社会面広告欄に別紙2記載の謝罪広告を別紙2記載の条件で一回掲載せよ。

第二  事案の概要

一  判断の基礎となる事実

1  原告は、昭和六一年三月、東燃株式会社(当時の商号・東亜燃料工業株式会社。以下「東燃」という。)の代表取締役社長に就任し、平成六年三月に辞任するまでその任にあり、現在は同会社の名誉会長をしている。

2  被告は、雑誌、書籍の編集、企画、制作、発行等を目的とする会社であり、月刊雑誌「選択」を発行している。

3  被告は、平成六年四月一日発売の「選択」四月号の記事において、「インサイダー疑惑が原因だった中原伸之東燃社長の解任」との見出しの下に、原告が富士興産の株についてインサイダー取引を行った疑いがある上、家庭的にも事情があって、それらが原因で東燃の社長を解任されたかのような内容の記事(以下「本件記事」という。)を掲載した。

(以上の事実は当事者間に争いがない。)

二  原告の主張

1  本件記事は事実無根の捏造記事であり、これによって原告はその名誉を著しく棄損された。

2  本件記事により原告の受けた精神的苦痛は、金銭に換算すると、一億円を下らない。また、原告は、本件訴訟を弁護士に委任して提起することを余儀なくされたが、その弁護士費用相当の損害額は三〇〇万円である。

3  よって、原告は被告に対し、右精神的苦痛に対する慰謝料一億円及びこれに対する不法行為の日である平成六年四月一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金並びに弁護士費用三〇〇万円の支払を求めるとともに、原告の名誉回復のための適当な処分として、原告の請求第二項記載の謝罪広告の掲載を求める。

三  被告の主張

1  本件記事は、原告のインサイダー取引疑惑や家庭の事情を独自に取り上げたものではなく、原告が富士興産の株をインサイダー取引したのではないか、あるいは、原告に何らかの家庭の事情があるのではないか、という疑いを東燃の大株主であるエッソやモービルが抱いたことが、原告が東燃の社長を解任された原因である、という事実を命題として報道したものであることは、一読して明らかであり、原告の社会的評価を低下させるものではない。

2  仮に、本件記事によって原告の社会的評価が低下し、名誉が棄損されたとしても、本件記事の執筆、掲載、発行は、公共の利害に関する事実について、もっぱら公益を図る目的で行ったものであり、記事の内容は真実性に欠けるものではなく、仮に真実ではないとしても、被告には真実であると信ずるについて相当の理由があったのであるから、不法行為を構成しない。

すなわち、原告は私人ではあるが、東燃社長という社会的地位にあった人物であり、原告の社長解任は新聞各紙でも経済記事のトップで報道されたことから分かるとおり、社会的関心の高い事実である。また、本件記事を執筆したのは、被告編集部から執筆依頼を受けた社外記者であるが、右記者は、東燃の主取引銀行幹部、東燃の事情に詳しい外資系石油会社役員及び旧知の通産省幹部に取材した結果、本件記事を真実と信ずるに足りる情報を得たものである。なお、右記者は、原告や東燃、エッソ、モービルからは取材できなかったが、これは、原告ら関係者が原告の退任の理由について一切明らかにせず、取材への協力が得られなかったためである。

被告は、右記者から以上の取材経過について報告を受け、その情報源の信用性が高いと判断して本件記事を掲載、発行したものである。

四  争点

1  本件記事は原告の社会的評価を低下させるものといえるか。

2  本件記事の掲載は、公共の利害に関する事実について、もっぱら公益を図る目的で行われたものであるといえるか。

3  本件記事の内容は真実であるといえるか。

4  本件記事の内容が真実でないとした場合、被告において真実であると信ずる相当の理由があったといえるか。

5  原告に生じた損害の額及び名誉回復の措置として謝罪広告を命ずることの適否。

第三  争点に対する判断

一  本件記事は原告の社会的評価を低下させるものといえるか。

本件記事は、原告が富士興産の株についてインサイダー取引を行った疑いがある上、家庭的にも事情があって、それらが原因で東燃の社長を解任されたかのような内容のものであり(前記第二の一の3)、原告の社会的評価を低下させるものといえる。

二  本件記事の掲載は、公共の利害に関する事実について、もっぱら公益を図る目的で行われたものといえるか。

証人宮嶋巌の証言によれば、原告は、私人とはいえ、東燃社長という社会的地位にあった者であり、原告が社長を退任した事実は、新聞各紙でも報道されるなど、社会的関心の高い事実であったことが認められ、また、同証人の証言によって認められる月刊雑誌「選択」の内容及び甲第一号証によって認められる本件記事の内容から見て、本件記事の掲載は、公共の利害に関する事実について、もっぱら公益を図る目的で行われたものということができる。

三  本件記事の内容は真実であるといえるか。

本件においては、原告が富士興産の株についてインサイダー取引を行った疑いがあるとの事実及び原告に家庭的問題があったとの事実を裏付けるものというに足りる証拠は提出されていない。

もっとも、インサイダー取引を行った疑いがあるとの事実については、被告の月刊雑誌「選択」の編集部次長である証人宮嶋が、その証言中において、いくつかの裏付けとなる伝聞の存在について供述しているが、その内容は具体性に欠け、インサイダー取引の構成要件を具体的に裏付ける証拠としての価値が極めて低く、これを真実性の裏付け証拠として採用することはできない。また、原告に家庭的問題があったとの事実については、乙第四号証(平成二年七月二五日付け国会タイムズ)の記事が提出されているが、この記事は、主として、作成名義不明の「怪文書」と出所不明の「うわさ」に基づいて記述したものであり、その見出し及び内容から見て、原告に家庭的問題があった事実の裏付けと認められるような証拠とはいえない。そして、他にこれらの事実を裏付ける証拠はない。

四  被告が本件記事の内容を真実であると信ずるにつき相当の理由があったといえるか。

1  インサイダー取引を行った疑いがあるとの事実について

(一) 被告がインサイダー取引を行った疑いがあるとの記事を掲載した経緯

証人宮嶋の証言によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 被告発行の月刊雑誌「選択」は、年間購読の予約をしている会員にのみ販売している雑誌であり、政治、経済、国際、社会、文化などの多岐にわたる情報の提供を目的としており、現在の会員は約三万人であり、読者層は、企業の課長クラス(管理職)以上が多い。本件記事は、この雑誌の情報カプセルという欄の一記事であり、他誌に掲載されていない新しい情報を四〇〇字程度で手短に紹介する記事の一つである。

(2) 本件記事は、五年以上前から被告との契約で被告に記事を提供している社外記者が執筆したものである。この記者は、有力な全国紙で経済の専門記者として約二〇年のキャリアを持ち、石油業界に関しても詳しい者である。

(3) この記者は、本件記事に関する取材を平成五年一〇月ころから開始し、石油業界の有力企業の一つである東燃の社長である原告について、東燃のメインバンクの幹部から、東燃の親会社であるエッソ、モービルとの関係があまりうまく行っておらず、一〇月には非常に厳しい段階を迎えているという情報を得た。また、そのころ、東燃の内部事情に通じた外資系石油会社の幹部から、原告が親会社との関係を修復しようとして一〇月に渡米したが、東燃の私物化問題など不利な事実を突きつけられて社長退任の約束をさせられて帰ってきたとの情報を得た。その後、平成六年一月一四日、原告は東燃の社長の職を退任することが明らかとなった。

(4) 右記者は、平成六年二月上旬、右銀行幹部から、原告が東燃の社長を退任することが明らかとなった原因として、原告にインサイダー取引の疑いがかけられていたとの情報を得た。右銀行幹部によれば、原告が在任中に手掛けた新規事業開発が採算ベースに乗らなかったため、その穴埋めをするために株式相場に手を出したのではないかという疑いをかけられているということであった。

さらに、右記者は、右石油会社幹部から、原告は親会社から、平成五年春から夏にかけて富士興産の株のインサイダー取引を行ったとの疑いをかけられており、それが先の社長退任の一つの原因になったという話を聞いた。右記者の理解によれば、富士興産は、潤滑油の販売メーカーであり、東燃が原油精製の受託を行うなど、東燃と業務提携関係にあった会社であり、株価の値動きの激しい会社であった。

右記者は、さらに、通産省の幹部に原告の東燃社長退任の理由について質問した際に、インサイダー取引の疑いについても質問したところ、その幹部は、「やむをえない事情があって辞めたと聞いている」と答えた。これについて、右記者は、インサイダー取引の疑いを否定しない答えと解釈した。

右記者は、以上の事実を総合して本件記事を執筆し、被告の編集部に提出した。

(5) 本件記事を受け取った被告編集部の宮嶋次長は、別の新聞社の編集員クラスの記者に原告の社長退任の理由について尋ねたところ、その記者からも、その中の一つの原因として、株価操作ないしインサイダー取引の疑いが持たれているという話を聞いた。

(6) 本件記事を執筆した社外記者や被告の編集部員は、本件記事の内容について原告に取材をしていない。その理由は、原告が東燃社長を退任して以降、原告及びその関係者がその退任の理由についての取材を拒否していたためである。

(二) インサイダー取引に対する規制の内容

インサイダー取引に対する規制の内容に関する次の事実は、当裁判所に明らかである。

証券市場の公正さと健全さを維持して一般投資家の証券市場に対する信頼を確保するため、証券投資に関する重要な情報を知る立場にある内部者(インサイダー)の取引は規制する必要がある。インサイダー取引は、不公正な証券取引であり、「何人も有価証券の売買その他の取引について、不正の手段、計画又は技巧をなすことをしてはならない」とする証券取引法五八条により、規制されており、罰則の対象ともされていたが、その要件が明確でないために、規制は徹底しなかった。しかし、昭和六二年秋、いわゆるタテホ化学工業事件を契機として、インサイダー取引の規制についての社会的関心が高まり、昭和六三年、インサイダー取引に関する証券取引法の規定が大幅に改正された。この改正法により、インサイダー取引の構成要件は明確に規定され(昭和六三年法律第七五号による改正後の証券取引法一八八条以下。現在は同法一六三条以下。)、違反者には懲役ないし罰金刑が科せられることとなった。

このような経過により厳しく規制されることとなったインサイダー取引は、国民から、証券取引の公正性と健全性を損なう重大な犯罪行為であるとして認識されているものである。

(三) 犯罪行為に関する記事の掲載の違法性ないし有責性の判断基準

本件記事の違法性ないし有責性(以下、有責性を含めて、単に「違法性」という。)を判断するに先立ち、一般の国民に対する情報伝達の媒体(マスメディア)である新聞、雑誌等に人の犯罪行為に関する記事を掲載する場合、記事の掲載者が当該犯罪行為を裏付ける事実として、どのような事実についての情報を収集して記事を掲載すれば、その記事の違法性が阻却されるのかについて検討しておく必要がある。

(1) 犯罪行為を裏付ける事実の範囲

まず、犯罪行為を裏付ける事実の範囲についてであるが、記事の掲載者がその犯罪行為を裏付ける事実についての情報を収集したというためには、当該犯罪行為の構成要件である事実のすべてに関する情報を収集する必要がある。その構成要件の一つでも欠ければ、犯罪行為は成立しないのであり、マスメディアである新聞、雑誌等に犯罪行為に関する記事を掲載すれば、その記事が人の名誉を大きく傷つけるおそれがあるのであるから、人の犯罪行為に関する記事を掲載しようとする者としては、ある人がそれは犯罪行為に当たると言っているという程度の情報を収集する程度では、犯罪行為を裏付ける事実についての情報を収集したとはいえず、さらに進んで、犯罪行為の構成要件を法律の規定に照らして一つ一つ検討し、すべての要件を満たす事実についての情報を収集する必要があるのである。

(2) 犯罪行為を裏付ける事実についての情報収集の程度

次に、犯罪行為を裏付ける事実についての情報収集の程度についてであるが、犯罪行為がなされたことの直接の証明が困難な場合における犯罪報道の違法性の判断基準として、犯罪行為の構成要件である事実について、通常人が疑いを持たない程度の事実、すなわち、有罪の判決ができる程度の事実について情報収集がされていることが必要であるとすると、マスメディアは、検察官と同程度の事実の立証責任を負うことになるが、強制捜査の権限を持たないマスメディアにそのような立証責任を課することは、表現の自由を不当に制限することとなり、ひいては、国民の情報への接近を妨げることとなる。マスメディアの犯罪報道については、通常人において当該犯罪行為が行われたと疑うに足りるだけの情報を収集したかどうかを基準としてその違法性を判断すべきである。そのような事実が認められる場合には、法秩序維持の観点から、国民の生活の平穏を害することも許容されているからである(刑事訴訟法一九九条等参照)。したがって、通常人において当該犯罪行為が行われたと疑うに足りる情報を収集した上で記事を掲載した場合には、その記事の内容が真実であることを証明できないとしても、真実であると信じたことに相当の理由があり、違法性がないものと解するのが相当である。

(四) 本件記事の違法性の有無

前記(一)及び(二)の認定事実及び(三)の判断基準に基づいて、本件記事の違法性の有無について判断する。

被告発行の月刊雑誌「選択」は、政治、経済、国際、社会、文化などの多岐にわたる情報の提供を目的としており、その内容、会員数及び読者層からみて、経済界にしかるべき情報伝達力を有するものである。一方、インサイダー取引は重大な経済犯罪であり、石油業界の有力企業の一つである東燃の社長であった原告がその疑いのある行為をしたとの情報は、国民、ことに経済界の注目を浴びる可能性が高い。

このような場合、被告としては、原告の名誉を違法に害することのないよう、インサイダー取引の疑いに関する情報を「選択」誌に掲載するに当たっては、インサイダー取引の構成要件が満たされるかどうかを法律の規定に基づいて慎重に検討し、その構成要件の一つ一つについて、これを裏付ける事実が認められるかどうかを吟味することが要求されるものというべきである。

ところが、被告は、原告についてインサイダー取引の疑いがあるとの複数の情報があることは調査しているものの、証券取引法に定めるインサイダー取引の構成要件の一々について検討した様子はまったく見られない。原告のような立場にある者がインサイダー取引をした疑いがあるというためには、まず、東燃が富士興産と契約を締結しているといえるかどうか、いえるとすれば、どのような契約か(昭和六三年法律第七五号による改正後の証券取引法一九〇条の二(現一六六条)一項四号)、原告が知った重要事項とは何か(同条二項)、原告は重要事項を契約の締結若しくは履行に関し直接知ったのか(同条一項四号)、又はその職務に関して知ったのか(同項五号)等について検討することが必要であるが、被告がそのような観点から情報の内容を検討した旨の証拠は存しないのである。

そうすると、被告は、原告にインサイダー取引の疑いがあるとの情報を複数の者から得たとはいうものの、それは、東燃の大株主である会社が原告についてインサイダー取引の疑いがあるのではないかと問題視しているとの情報であり、原告についてインサイダー取引の構成要件を満たす事実が存在するとの情報ではなく、当該情報提供者の情報を検討してみても、原告について、いつの時点での取引が問題とされているのか、及びインサイダー取引の構成要件を満たす事実があるのかどうかを確認できなかったものといわざるをえない。

なお、被告は、本件記事において記述したのは、原告が富士興産の株をインサイダー取引したのではないかという疑いを東燃の大株主であるエッソやモービルが抱いたことが、原告が東燃の社長を解任された原因である、という事実を命題として報道した旨主張し、原告がインサイダー取引をしたとの事実を立証しなくても、東燃の大株主が右疑いを持った事実さえ立証すれば足りるかのような主張をしているが、「選択」誌のように経済界にしかるべき情報伝達力を有する月刊雑誌に本件記事を掲載すれば、その読者は、原告がインサイダー取引をしたのではないかという疑いを持つことは明らかであり、したがって、原告がインサイダー取引をしたことを裏付ける情報を収集したことを立証しない限り、本体記事には違法性があるものといわざるをえないのである。右裏付ける情報の収集の程度は、前記のとおり、通常人においてインサイダー取引の構成要件を満たす行為が行われたと疑うに足りる情報を収集したことを立証することで足りるが、本件においては、その立証がない。

そうすると、被告が本件記事を掲載するについて、原告がインサイダー取引を行ったと信じたことにつき相当の理由があったものとは認めがたいから、本件記事中のインサイダー取引に係る部分には違法性があるものというべきである。

(五) 原告及びその関係者の取材拒否と記事の違法性との関係

被告は、原告ら、東燃、その大株主である会社等の関係者が原告の退任の理由について一切明らかにせず、取材協力が得られなかったことも、本件記事の違法性阻却事由の一つとして主張している。そして、原告本人尋問の結果によれば、原告ら関係者は、原告の東燃社長退任の理由に関する取材の申入れを拒絶した事実が認められる。このような場合に、原告の社長退任の理由について、他から得た情報に基づいて、若干の推論も含めた記事を書くことは、その推論に一部事実に反することがあっても、社会的に許容されることがありうる。

しかし、そのことと、原告にインサイダー取引という重大な犯罪行為を行った疑いがあるとの記事を掲載することとは別問題である。そのような犯罪行為を行った疑いがあるとの記事の掲載が人の名誉を著しく傷つけるおそれが大きいことは明らかであり、したがって、そのような犯罪行為の疑いを記事にする以上、仮に原告及びその関係者が被告の取材を拒絶していたとしても、被告としては、他の方法により、その犯罪事実の構成要件の一つ一つについて緻密な情報収集をする義務を負うものといわなければならない。犯罪事実の報道に関しては、その者が黙秘しているとしても、その事実をその者に不利益に用いてはならないのである。

2  原告に家庭問題があったとの事実について

被告は、原告に家庭的問題があったとの事実を裏付ける証拠としては、乙第四号証(平成二年七月二五日付け国会タイムズ)の記事を提出しているのみであるが、前記一認定のとおり、この記事は、主として、作成名義不明の「怪文書」と出所不明の「うわさ」に基づいて記述したものであり、その見出し及び内容から見て、原告に家庭的問題があった事実の裏付けとは到底認めがたいものである。

原告に家庭問題があった旨を記述する本件記事は、「その裏には中原氏の家庭の事情もある」とするのみで、家庭問題の内容すら特定していないものであるから、その裏付けとして要求される証拠は、それほど厳格なものでなくとも足りるが、それにしても、被告が提出できる証拠としては、右のようなおよそ信頼するに足りない出所不明の情報しかないというのは、被告の事実確認の姿勢のずさんさを示すものというほかない。

本件記事の右記述部分には違法性がある。

五  原告に生じた損害の額及び名誉回復の措置として謝罪広告を命ずることの適否

1  原告に生じた損害の額

本件記事は経済界にしかるべき情報伝達力を有する月刊雑誌に掲載されたものであること、原告は東燃社長という要職にあったものであり、社長退任後も同会社の名誉会長の職にあるものであること、原告はエネルギーの国際論等に通じた石油業界の理論家としても評価されており、インサイダー取引の監視等に当たる証券取引等監視委員会の設立に協力した実績もあること、本件記事中の特にインサイダー取引に係る部分は、原告が重大な犯罪行為を行った疑いがあるとの記述であること、被告がその裏付けとして収集した証拠が犯罪行為の構成要件の一つ一つを慎重に検討したものとは認めがたいこと、本件記事は、字数四〇〇字余りの短いものであるが、比較的大きな原告の顔写真を配し、見出し、ゴシック文字等を用いて、読者の注目を引くような方法で、原告がインサイダー取引をした疑いがあることを記載しており、証人宮嶋が供述するような単なるベタ記事とは異なっていること、原告は、名誉の回復を図るため、弁護士に委任して本件訴訟を提起するなどし、そのために相当額の出費をしていること(甲第一号証、乙第六号証、証人宮嶋の証言、原告本人尋問の結果)等の事実を総合すると、後に述べるとおり、原告の名誉回復措置として、被告に謝罪広告をするよう命ずることを考慮しても、原告が本件記事によって被った精神的苦痛を慰謝するには、被告に対し、五〇〇万円の金員の支払を命ずるのが相当と考える。なお、原告は、慰謝料の請求に加えて、弁護士費用の賠償も求めているが、弁護士費用については、右のとおり、慰謝料の算定の際に考慮しているので、独立の損害として取り上げることはしない。

2  名誉回復の措置として謝罪広告を命ずることの適否

本件記事による原告の社会的信用の低下ないし名誉の棄損の程度にかんがみると、当裁判所は、原告の名誉回復のための措置として、被告に対し、別紙の趣旨の被告代表取締役名義の謝罪広告を「選択」誌に掲載させるのが相当と考える。この広告は、被告発行の雑誌に掲載させるものであるため、その強制執行としては、民事執行法一七二条に定める間接強制の方法によるほかないものである(同法一七一条に定める代替執行の方法を執ることは、被告の表現の自由との関係で困難である。)。したがって、謝罪広告の掲載方法については、当裁判所が命ずる趣旨を害しない限度で、まず、被告の自由意思を尊重すべきであり、「選択」誌のどの部分に掲載するか、見出しにどのような活字を使い、その体裁をどのようにするか等の掲載の細目については、被告に委ねるのが相当である。また、被告がこの広告を掲載する義務は、この判決確定後に初めて生ずるものである(裁判所が当事者間に既にある給付義務の履行を命ずる場合とは異なる)から、被告は、本判決確定後速やかにこの広告を掲載すれば足りる(具体的には、本判決確定後の直近の編集に係る号に掲載すれば足りる。)。このような観点から、広告の体裁、時期等については、主文第二項のとおり定めるにとどめることとする。

なお、原告は、主要な日刊新聞紙にも謝罪広告を掲載することを求めているが、その必要性は認められない。

六  結論

以上のとおりであるから、原告の請求は、主文第一項及び第二項の限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用については、原告の勝訴の程度と当事者双方が支出した訴訟費用の額とを対比して、各自の負担と定める。なお、仮執行の宣言については、被告の謝罪広告の義務が本判決の確定後に生ずることとの関係上、その義務の確定を前提として算定した原告の慰謝料についてのみ仮執行させるのは相当ではないので、これを付さないこととする。

(裁判長裁判官園尾隆司 裁判官森髙重久 裁判官古河謙一)

別紙1謝罪広告

平成六年四月一日発売の月刊雑誌「選択」四月号八九頁の「インサイダー疑惑が原因だった中原伸之東燃社長の解任」との見出しの記事において、中原伸之氏に関し、同氏が富士興産の株をインサイダー取引した疑いと家庭的な問題により東燃の社長を解任されたかのような記事を掲載しましたが、この記事は事実に反するものでありました。

右記事により、同氏に多大な迷惑をおかけしましたことを深くお詫びします。

別紙2謝罪広告

平成六年四月一日発売、月刊雑誌「選択」四月号八九頁の「インサイダー疑惑が原因だった中原伸之東燃社長の解任」との見出しの記事において、中原伸之氏に関し、同氏が右東燃の事実上の子会社であった富士興産の株をインサイダー取引した疑いと家庭的な問題により東燃の社長を解任されたかの如き記事を掲載しましたが、これらはいずれも事実無根の虚偽の記事でありました。

これにより同氏には多大の迷惑をお掛け致しましたので、右訂正するとともに同氏に深くお詫び致します。

平成六年四月二八日

選択出版株式会社

代表者代表取締役 飯塚昭男 中原伸之殿

(掲載条件)

一 字格は、五号活字を使用すること

二 大きさは、二段抜きにすること

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例